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July 03, 2007

一つの訃報

Dsc01039今朝、突然の訃報を聞いた。「れお・ぽっくる」という子供の遊び場を主宰していた金親智士さんが亡くなったという知らせだった。「れお」は金親智士さんみどりさんご夫婦がお二人でやっていた子供たちの会だ。小さな古い家を借りて、勉強を教えたり、釣りや探検やキャンプというアウトドアのプログラムもたくさんあった。また子供たちが楽器を作ってコンサートをしたり、芝居を上演したり、お祭りを創ったりと、楽しいイベントがいつも盛りだくさんだった。
フルタイムで働く母親にとって子供の夏休みはとても大変だ。息子たちが小さかった頃、仕事を休めなかった私は夏の間、よく「れお」に子供たちを通わせた。と言っても送り迎えやお手伝いができないうちの事情を知っているお二人は「れお」にずっと参加できるようご自宅に息子たちを泊めてくれた。智士さんは「おんじ」、みどりさんは「おんば」と呼ばれ、たくさんの子供たちがいつも「れお」に集っていた。
子供たちが大きくなってしまうと、年に一度の年賀状くらいのお付き合いになり、しばらくご無沙汰してしまった。今朝、みどりさんから電話をいただくまで、おんじが闘病していることも知らなかった。でも亡くなる数日前も「れお」に行ってみんなと会ってお別れをしてきたそうだ。自分の残された時間を知りつつあきらめず、家族とたくさんの「れお」の子供たちに囲まれて、その日を迎えるまで静かに自分らしく生きたおんじ。おんじらしい死に方だと思う。
自然が好きで木や花や草や星の名前を何でも知っていた。どこに行ってもワンパクではみ出しっ子だった息子たちが自由に伸び伸びと遊べる数少ない場所だった。「”やっと俺たちが楽しめる場所が見つかったねっ!”と三男が言ってたんですよ」と、おんじに話したら、それを聞いてこっそりと泣いていたそうだ。
子供の気持ちをいつも忘れない人だった。夢があって、人を信じていて、温かくって、時には子供たちのことを厳しく怒ることもあったけれど、子供の意見を真剣に聞いてくれた。誰でも気軽に参加できるようにとても手軽な会費でやっていたから、いつもお金がなかったみたいだけれど、すごく楽しそうだった。
三男も一緒にお通夜に参列した。たくさんの卒業生を送り出してきた「れお」だから、葬儀場には記帳と献花をする人たちが道路まであふれていた。「れお」の子供たちの写真が貼ってあって、献花のバックには多分、おんじの好きな明るい曲がずっと流れていた。そこだけみたら同窓会のようだ。だけどみんな泣いていた。おんじのお顔に対面した時、三男が号泣した。帰りの車の中でもずっと泣いていた。「成人式の時、おんじのところに行こうかなって思ったんだけど、行かなかった。あの時に行ってればよかった・・・」。若い息子は大人になるまでの間に、一体いくつこういう後悔を重ねていくことになるのだろう。
棺の中に入れる色紙が置いてありみんなで寄せ書きをした。三男は「たくさん迷惑かけてゴメンね。でもいっぱい遊んでくれてありがとう」と兄弟の名前を書いた。若すぎる死だったけれど、ずっと好きなことをして、たくさんの人たちに愛されながら生きたおんじの人生はすごく幸せだったんだろうなあ。会葬お礼の中に同封されていたおんじの絵に添えられた言葉は「ありがとう」だった。

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Comments

ゆきさんありがとう。
どのような経緯でこのブログに来て下さったかわかりませんが、随分前の日記を今、お読みになったのですね。
かれこれ5年近く前のことになってしまいました。
当時のれおにいらしたなんて、れおの歴史を感じますね。
本当におんじは優しくて楽しくて子供たちも私もみんな大好きでした。
そしてたくさんたくさん遊んでいただきました。
今日改めてこの日記を読んだら、またおんじのことを思い出して泣いてしまいました。
おんじに笑われちゃいますね。
でも私もおんじが大好きでとても尊敬していました。
みどりさんは時々お店に来て下さいます。今でもおんじの遺志を継いでれおをやっていらっしゃいます。
ご連絡先、必要でしたらお知らせできますので、メールでお知らせください。

Posted by: 風楽 | March 12, 2012 at 11:05 PM

私は現在40歳です。私が小学校の時に“レオ学習塾”が立ち上がりました。その頃から皆でイカダを作って浮かべてみたり、劇をしたりしていました。しかし中学に入る頃に、その時にいた先生と金親先生との意見が対立したと思われ、“レオ進学塾”となり、金親先生は離れていきました。
その頃に恐らく奥様と小学生を対象に立ち上げたのかな?と思います。
私は一番、金親先生が大好きで亡くなった事を本日知りましてショックを受けてます。私も当時住んでいた場所を引っ越してしまい全く知らずにいました。
こちらを読ませていただき、先生の笑顔が今でも浮かび、先生らしい生き方をされたと感じております。

Posted by: ゆき | March 12, 2012 at 06:58 PM

璃璃さんありがとう。
人の死は避けることができないけれど、残されたものが故人の思いをくみ取りながら、どう生きていくのか・・・ということが、その度、問われていくんだなあと思いました。そして「その日」までの時間を、それぞれがより楽しく豊かに過ごしていくことが、故人に対する何よりの供養になるのだろうなあと思っています。そんなことを私や息子に教えてくれたおんじにありがとうって何度も何度も伝えています。

Posted by: 風楽 | July 04, 2007 at 09:55 PM

えいこさん・・・

悲しかったね・・・


読みながら涙がとまりませんでした。。
わたしも
いつまでも 多くの子ども達の味方でいよう・・と
こころ新たにしました・・・

Posted by: 璃璃 | July 03, 2007 at 11:26 PM

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