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March 11, 2010

谷は眠っていた~富良野塾の記録~

今から26年前、北海道の富良野の原野を開拓し、若者たちが共同生活をしながら演劇とシナリオを学ぶ塾ができた。演出家の倉本聰が呼びかけて設立した「富良野塾」だ。今年の春、その富良野塾が幕を閉じることになった。その最後の舞台「谷は眠っていた」の公演があるという記事が朝日新聞に書かれていた。それを読んだ瞬間、絶対に観に行こうと思った。
今日はそれを観に行くためにお休みにするつもりだったのだが、11名の方からランチのご予約をいただいた。それで朝から支度をし、器に盛り付けるだけにしておいて11時にサリーちゃんとお友達に留守番を兼ねて来てもらった。入れ替わりに大急ぎで支度をし天王洲銀河劇場へ。開演のベルと同時に息をきらしながら座席に着いた。
役者一人一人がストップモーションで舞台に登場した瞬間から、あっという間に倉本聰の世界に引きづり込まれてしまった。特別な舞台装置もない、とてもシンプルで暗い舞台なのに生命力があふれていた。台詞を言い放ち、歌い踊る役者たちの息遣いがそのまま伝わってきた。なんてストレートに心に入ってくる言葉なんだろう。一言一言はありきたりの言葉なのだが、まるで命が宿っているかのように響いてくるのだ。足先や手の指先一本一本までが全て表現として組み込まれている。渾身の力を振り絞って生まれてくる演技力だ。
役者やシナリオライターへの夢を求めて、全国から集まってきた若者たち。それぞれに事情をかかえ、ある者は恋人と別れ、ある者は帰る家をなくし、新生活へと希望を抱いてやってきた。荒れ果てた谷を切り拓き、農家の廃屋を改修して住み始め、丸太小屋を作り、芝居をするためのスタジオを全て人力で作った。
入塾料や受講料は一切かからないが、畑を耕し野菜を作ったり、農家に働きに行ったりして得た現金収入を共同の生活費とし、ほぼ自給自足をしながら暮らしていく。
だが塾生たちは想像以上に苛酷な労働とストイックな生活に疲れ果て、肉体的にも精神的にも追い詰められていく。芝居の練習に明け暮れるが、挫折したり夢を捨ててしまう者も出てくる。全て富良野塾で体験したことがベースになっているので、とてもリアリテイがあった。
中島みゆきの歌詞を変えた「ファイト」や、さだまさしの「風に立つライオン」、長渕剛の「乾杯」などが挿入歌として使われるが、その歌詞が演じている者たちの気持ちとあまりにつながっていて胸を打たれた。
最後に手作りのスタジオを完成させ、それぞれが卒塾していく場面では、倉本聰自身がその声で彼らに贈る言葉を語りかける。その言葉を聞きながら私は涙が止まらなかった。
倉本聰は今回の上演にあたって「創るとういことは遊ぶということ。創るということは狂うということ。そして、創るということは金に拠らず知恵によって前例のないものを産み出して行くこと」だと語り、改めて感動とは何かということを問いかけている。
ただ食べモノさえあれば人は生きていけるのだろうか。生活のために働き続けていく中で、本来、その人が持っていた生命力やわくわくと湧きあがってくる思いや感動を忘れてしまってはいないだろうか。そんな原点を思い出させてくれた素晴らしい舞台だった。
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