長生きすりゃいいってもんじゃない?!
一日雨だった。ちょっと気になるタイトルに惹かれて読んだ同名のエッセイ(幻冬舎)をご紹介。
聖路加国際病院名誉院長で現在98歳の現役医師日野原重明さんと千葉大の名誉学長で「頭の体操」シリーズでおなじみの多湖輝さんのショートエッセイが交互に書かれている。日野原さんは、この人の頭と体はどうなっているのだろう?と疑問に思うほど、健康なシニアライブを充実させている。もうじき100歳になるというのに、新しい感覚を持ち続け、常に成長し続けているように思える。一体、どうやったらこういう高齢者?になれるのだろう。
私は自分が90歳近くまで生きていること自体が想像できない。もちろんいつまでも元気でいたいし、自分のことは自分で決めて自分でやりたいし、生涯、仕事を楽しみたいと思っているけれど、果たして体の方がそれについて行けるかどうか・・・・?!
お二人とも高齢者の生活の安心、安全、充実をはかるための住空間への提言もされている。特に多湖輝さんはすでに「銀座サンシティ」に入居し、そこで生活されているという。また日野原さんの構想で聖路加病院の敷地内には融合施設としてシニア向けのマンション「聖路加ガーデン」も建設。庶民には手の届かない入居費用だが、こういう住空間があれば、年を取ってからの一人暮らしの不安はかなり解消できそうだ。
若いつもりでいても誰にでも平等に老いはやってくる。老人施設に入所して何もわからなくなってしまった父は、それでも自分が今も会社の中にいて仕事をしていると思い込んでいる。「今日は会議をやったんだが、あの連中の言ってることはわけがわからん」などとぼやいて?いる。それを見ていると、呆けてしまうのも悪くはないかも?と思ったりするのだが、でもそれも生活の基盤があるから言えることだ。
「命が自分だけのものだと思うから死があります。命はリレーであり、他の生きるものに伝える、つなげるものだと思うと人間は永遠に生き続けることができます」という日野原さんの言葉はとても深い。
長生きはそれだけでおめでたいハズなのに、現実には長生きを素直に喜べなくなってしまっている。日野原さんはタイトルにもあるように、単に長く生きるだけではなく、長生きしてよかったと思えるような生き方をすること、そして自分が生きていることで世のため人のためになるような生き方をすることを目標にされている。そしてそれを98歳になっても有言実行中なのだ。スゴイ!
つくづく思った。「あんな年の取り方をしたい」と。・・・だけど日野原さんのことは「お年寄り」なんて絶対に言えないなぁ~。
写真はこの前のキャンドルナイトの時に本堂の入口にあった水盤の中のキャンドル。
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