室生寺~長谷寺~春日大社
6月7月は方位がいいので関西方面へのご参拝にいろいろ行きたいと計画を立てている。前回、天河神社、玉置神社、高野山とご参拝したが、その時、次回は女人高野と呼ばれる室生寺に行きたいと思っていた。
今月で2日連休が取れるのはこの22日23日だけだったので、21日の夜、突然思いたって大栄から高速バスに乗り京都に出て奈良に行くことにした。
その昔、龍神が住むと言われた山深い聖地に室生寺はある。室生川の渓流にそって石段を上っていくと、杉木立の中に弥勒堂、本堂、奥の院、五重の塔など古い建物が点在している。かつて女人を禁制とした高野山に詣でられなかった女たちが嶮しい山を越え谷を越え、歩いて真言宗の教えを授かるために山深いこの寺までやってきた。そのせいか、室生寺の境内は何かを待っていてくれるような優しさがある。
木々の間を抜ける風が彼女たちに束の間の涼を与え、室生川の水で喉の渇きを癒したのだろう。シャクナゲの季節は終わってしまったが、清楚で優しく、落ち着いた佇まのお寺だった。
近くには雨乞いで知られる室生龍穴神社があり、そこもご参拝してきたが、ご神体が水そのものなのでないかと思うほど、自然と一体となった古い神社だった。
長谷寺は「花の御寺」と呼ばれ、桜やボタン、紫陽花、紅葉など四季折々の自然美が楽しめる美しい寺だ。登廊の低い石段をゆっくりと歩いて登っていくと本堂にたどり着く。本堂の舞台からは初瀬山周辺の景色が一望に見渡せる。
ちょうどご本尊様である十一面観音の御開帳の時期だったので、特別拝観で中に入ることができた。とても大きな十一面観音で高さは10m以上もある。その足元に触れてお参りすることができるのだ。大勢の参拝客がいるにも拘わらず、私が入った時はタイミングよく人が切れている時だったので、たった一人だけで観音さまとご対面することができた。見上げると大きな大きな観音さまの優しく慈悲に満ちた眼差しに出会う。足元にひれ伏す小さな私はまるで観音さまの子供になったようだ。
右手に数珠と杖を持ち、左手には器に入れた蓮華を持って、大判の石の台座の上に静かに立っていらっしゃった。観音さまのご真言である「おん まか きゃろにきゃ そわか」を何度も唱えているうちに、このたった二人だけでいられる至福の時間が有難くて有難くて涙がこぼれてきた。
早朝は春日大社へご参拝してきた。震災の後、毎朝、神主さんが行っている朝拝に東北大地震の早期復興祈願詞が加わった。一般の人も同席しながら合わせて中臣祓(大祓詞=おおはらいことば)を唱えると、一人に付き、一回と数えられ、それが一万回になった時、「萬度祓」として奉安される。すでに多くの方が参列され、満願祈願は4月末に達成されたそうだが、引き続き、2度目の「萬度祓」をやっているそうだ。
私は祝詞をソラで唱えられないので、書かれた詞を読み上げるだけなのだが、自分のこのたどたどしい詞が、神主さんに導かれ、一万分の一の祈りになるのだと思い一字一句を丁寧に読ませていただいた。神主さんと直会殿に同席し、共にこうべを垂れ、柏手を打つ朝のひとときはとても荘厳で気持ちのいい時間だった。人々が何かの願いをこめて祈りを捧げるという行為は今も昔もずっと変わらないのだなと思った。
夜行バスで寝られずけっこう歩いたので、今回はちょっと疲れたが、行く先々でいろいろな形の信仰に出会えてよかった。
白州正子が「西国巡礼」を書いたのは55歳を過ぎてから。「十一面観音巡礼」は65歳の時の作品だ。その年代だからこそ書けるものがあったのだろう。私のように思い付きで動く人間は系統立てて順番に歩くことなどとてもできそうにないけれど、順番はどうあれ少しずつ時間を見つけて、いろいろな寺社を回りたい。とても満ち足りた時間を過ごしてくることができた。
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