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September 02, 2011

悲しい知らせ

昨夜、友達から来たメールを読んで体が震えてしまった。彼女の最愛のパートナーが心筋梗塞で亡くなったというお知らせだった。夏の間、遠い異国でバカンスを過ごしていたのだが、その滞在先で亡くなったとのこと。すでに一カ月半ほどたっていた。葬儀やその他を向こうで済ませ、昨日、彼女は自宅に帰って来た。
いてもたってもいられなくなって、今日、仕事が終わってから、花束と風楽のご飯とケーキを持って彼女の家に行ってきた。とにかく一目でいいから顔を見たかった。そして彼の遺影の前にお花を捧げたかった。顔を見ても何もできず、ただ一緒に泣いてしまうだけかもしれない。それでも会いたかった。
連絡もせずに行ったので、結局彼女には会えなかった。手帳から紙をちぎってメモを書いて残してきた。食欲はないと思うけれど気が向いたら少しでも食べてほしいということ、そして私自身も心から彼の死を悲しんでいるということ、少しでもあなたの心がラクになることをずっと祈っているし、話したくなったらいつでも来るから連絡してと書いた。
最初の結婚生活はほとんど会話のないものだった。私が離婚してしばらくした時、当時、特定のパートナーがいなかったので、「パートナーがいなくて淋しいな」と話したら、「私はパートナーと暮らしていても淋しいよ」と彼女は言った。
一緒に暮らす相手と心が通い合わない淋しさ。会話のない淋しさ。自分の感覚をどうしてもわかってもらえない淋しさを彼女は抱えていたのだと思う。私は言葉が通じない相手といると孤独感が募る。今はもうかなり鍛えられたので、そのことで一喜一憂することはなくなったが、若い時はそれがとてもつらかった。たとえ生き方が違っていたとしても共感というのは最大の寄り添い方と思う。だから彼女の「パートナーがいても寂しい」という言葉の奥にあるものがひしひしと伝わってきた。ほどなく彼女も離婚。数年後、新しいパートナーと出会い再婚した。
本当によく会話をする夫婦だった。そして本当に幸せそうだった。いや本当に愛し合い幸せな結婚生活をおくっていたのだ。「結婚して何年たっても彼は私のソウルメイトだと思う」と彼女は言っていた。社会情勢や文化のことや生活の中の何気ないウィットに富んだ会話をいつも二人で楽しんでいた。
そんな二人を私はよく知っているので、突然やってきた別れに彼女がどれだけ打ちのめされ悲しんでいるか痛いほどわかる。私の大変な時にはいつもそっと助けてくれた。やさしく聡明でかしこく謙虚な、私の大切な友達の一人だ。
彼女は私と同じ年。こんなにも早く別れがやってくるなんて。人間である限り、どんなに愛し合っていてもいつか必ず別れはやってくる。でもようやく幸せになったのだから、もっともっと二人で幸せな時間を過ごしてほしかった。なんで神さまは彼女の一番大切なものを奪ってしまわれたのだろう?悲しくて私も胸が張り裂けそうだ。
愛する人を失うのはいくつになってもつらく悲しい。私もかつて愛していた人を見送った経験がある。多分生きている限り、そのことはずっと忘れられないだろう。そして忘れる必要もない。
彼女にどんな言葉をかけたらいいのかわからない。でも私は彼女と彼の幸せだった時間を思い描き、そこに光をあてながら、そのことに感謝したい。そして彼女がこの悲しみを抱えながらも、きっといつかまた前向きに生きていけると信じ祈り続けていこう。
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ゴーヤのグリーンカーテンンの中に咲いた朝顔。私が一番悲しい時に心を慰めてくれたのは何も言わずそおっと咲いている小さな野の花たちだった。

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