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November 06, 2011

自分の感受性くらい

折りに触れて思い出す詩がある。大好きな詩であり自分への教訓であり、このように生きたいなと思っている人の一人である茨木のり子の有名な詩「自分の感受性くらい」。
今、私は新しいお店のオープンに向けて気忙しい毎日を過ごしている。まだ建物が完成していないので、今すぐ何かできることがあるというわけでもないのだが、何かしら考えなければならないことがあって落ち着かないのだ。今まで4件、場所を変えて店を作ってきたけれど(一番最初の一軒は雇われ店長としてだったが)、店舗のコンセプトのようなものから商品構成、そして内装工事まで自分でやってきた。もちろん内装工事は一人ではなく業者さんと一緒だったが、ペンキを塗ったり和紙を張ったり土壁を塗ったり、建築ゴミの処分から什器の設営までできることは何でもやった。
だから今回のように全体的な工事は全てプロにお任せして、厨房関係だけを準備するのは今までに比べたらかなりラクだ。でも最近、なかなかゆっくりと本を読むことができずにいる。
私の生活の充実度合?をはかる時、一つの目安になるのは読んでいる本の量だ。心身ともに充実している時は忙しいけれど読んでいる本もかなり多い。それがこの頃はページを開くとすぐに睡魔が襲ってきてほとんど進まなかったり、気持ちが集中できなかったりする。
昨日、マーケットから帰ってきて片付けが終わってから、この詩のことを思い出し、一区切りついたことだし夜は久しぶりに本をじっくり読もうと思った。選んだのは「清冽」(後藤正治著・中央公論新社)。詩人茨木のり子の肖像という本だ。ずっと前に図書館から借りてきたのだが、なかなか読めずにいた。引用されている茨木のり子の作品を懐かしく思い出しながらいっきに読んだ。評伝を通して改めて茨木のり子に生き方に出会えたような気がする。清冽というのは水などが清らかに澄んで冷たいことを言うのだそうだ。まさに茨木のり子の生き方にピッタリなタイトルだ。
茨木のり子の詩は素晴らしいけれど、その私生活はあまり知られていない。ただ自分が自宅で亡くなることを予期して、自分の亡き後、親しい人たちに送ってほしいという手紙をあらかじめ用意しており、死後、本人の文章による死亡の通知が送られてきたエピソードはあまりにも有名。享年79歳だった。
また詩集としては15万部という異例のベストセラーとなった「倚りかからず」が発行されたのは茨木のり子73歳の時。最後の詩集となってしまったが、朝日新聞の天声人語で紹介されたことでより多くの人に読まれるきっかけとなった。
もはやできあいの思想や宗教、学問、権威などには倚りかかりたくないというまっすぐに生きて晩年を迎えた一人の女性の言葉がストレートに伝わってくる詩だ。私自身もそうありたいと思ってはいるけれど、自分が同じ世代になった時、果たして同じセリフをまっすぐに吐くことができるだろうか?安易に倚りかかってラクな方へと流されている自分になってしまっていないだろうか?そんなことを問いかけてくれる凛とした詩だ。
「自分の感受性くらい」はもうソラで唱えられるほど繰り返し何度も読み続けている大好きな詩なので、今さらながら・・・なのだが、でも、何度読んでも新鮮だ。そして襟を正される思いがする。こういう時にこそ、繰り返し読みたい詩の一つ。

自分の感受性くらい

ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて

気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか

苛立つのを
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし

初心消えかかるのを
暮らしのせいにはするな
そもそもが ひよわな志しにすぎなかった

駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄

自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ

「いい詩には、ひとの心を解き放ってくれる力があります。いい詩はまた、生きとし生けるものへの、いとおしみの感情をやさしく誘いだしてもくれます」(茨木のり子)
Dscf7668
*しばらく千葉を離れるのでブログは3日ほどお休みします。

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Comments

風花さんありがとう。
私も自分には甘~いですよ。やりたいことをガマンしないですから(笑)。
でもやりたいことを自分がやっていれば、人のやりたいことも素直に認められるような気がします。
逆に自分がやりたいことをやっていないと、人の行動が羨ましくまぶしく見えるばかりで、私にとっては精神衛生上、よくありません(笑)。
だから娘には「ママって自分にご褒美あげてばかりだよね~」といつも呆れられていますが・・・。

Posted by: 風楽 | November 10, 2011 at 08:59 PM

あすぱらさんありがとう。
やはり同じ詩を読んでいるのですね。折りに触れて私自身の戒めとして、そして襟を正すために、この詩はいつも読み返しています。
自分の心の植木鉢にいつも水をしっかりとあげること、それはまず自分にしかできない仕事なのだと思います。
日々、お水をあげられることに感謝しながら、たくさんの花を咲かせることができたら幸せですね!
そして満々にあふれた水を、ちょっと元気がなくなったまわりの植木鉢の花にも分けてあげられるくらいになったらいいのですが・・・。
多分、あすぱらさんも私も種を撒いて育てていくことを一つの糧にしながら生きているタイプの女なのでしょうね。

Posted by: 風楽 | November 10, 2011 at 08:55 PM

私も 倚りかからず 大好きです。 一人になって ちょっと 堕落気味の今の私 背筋伸びます。自分に厳しく生きること
 それが幸せへの近道・・・なんですがねぇ すぐ自分に甘くなってしまう。いかんいかん。  

Posted by: 風花 | November 07, 2011 at 07:50 PM

この詩は・・・本が出た時の子育て中の私に大打撃を与えたものです。

実はちょうど日記に載せたかったので、びっくりしました。

「清冽」(後藤正治著・中央公論新社)も読んでみることにします。

ありがとうございます

Posted by: あすぱら | November 06, 2011 at 11:47 PM

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