お正月休みが終わって
あけましておめでとうございます。
年末からお正月にかけて大好きな沖縄で過ごしてきた。特に去年の12月は新しいお店の開店直前に父が亡くなり、慌ただしい中で見送り、そして開店という忙しい日々が続いたので、時間に追われずパソコンやケータイとも無縁の気ままな休日を過ごせてほっとした。
私のことをとても可愛がってくれたけれど、父はとても厳しい人だった。だから私にとって父は絶対的な存在だった。私とは住む世界や価値観があまりにも違うので、長い間、気持ちが通じ合えないもどかしさを感じてはいたけれど、でもふり返れば私は父にいつも守られてきたような気がする。
だから新しいお店ができることも父は深い意識の底でずっと見守ってくれていたのではないかなと思う。誰かが誰かを思う時、そこに祈りが生まれる。その祈りは決して目には見えないけれど、優しい光となって相手を包みこむ。守られていること、愛されていること・・・誰かが自分をそうやって支えていてくれるからこそ、人は生きていられるのではないかな。
もう安心して逝けると思った瞬間を見計らって父は旅立っていったのだろう。でもだからと言って見守ることが終わってしまったわけではなく、形を変えて新たな祈りがまた始まっていく。だから私は大丈夫。父から受け継いだ命(祈り)の連なりの中で生きていける・・・見送りの時、そう確信できた。
沖縄は女神の島だ。
久高島にアマミキヨが降り立ち、琉球と言う国創りを始めた。久高島は斎場御嶽の東に位置し、ニライカナイ(海のかなたの理想郷)につながる聖地だ。何かの建物があるわけではないけれど、御嶽(うたき)という形で森の中に様々な拝所(うがんじゅ)が今も残っている。太陽や海や木や風の精霊と共に人々は祈り生きてきた。私はそんな御嶽を巡るのが好きだ。
今回で3度目の久高島。この場所でどれだけのノロ(祝女)が手を合わせ祈りを捧げてきたのだろう。祈りは言霊となって辺りを包み、御嶽は今もなお神秘的な気配に満ちている。
沖縄でも魂はニライカナイからやってきて、肉体が滅びた後、再びニライカナイに還り、守護神になると言われている。カトリックではそれを天国と呼び、永遠の命を授けられると言う。道順や道標は違っても目指す方向は同じなのだと思う。ちょうど2011年の大みそかに久高島に行けたことも決して偶然ではないのだろう。
深い原生林のような山や海辺の御嶽を回りながら、私自身の中に何か新しいエネルギーが生まれてきたような気がした。
それを新しい年に向けてどう生かしていけるのだろうか。何気ないことに対する愛や祈り、そして日々の暮らしへの感謝の気持ち・・・そうしたものを忘れずにいる一年にしたい。
いつまでも青い空を眺めていたかったけれど、旅先で幸せな時間を過ごせるのは、今、自分の置かれている毎日を大切に過ごしているからこそだ。私は旅が大好きだ。だから旅を現実逃避の場にすることなく、現実へのよりよい循環となるような機会にしたいといつも思う。
いよいよ今日から仕事始め。休み明けの一日目はやることが山積みで忙しい。お店の方もゆっくりと少しずつ途切れることなくお客様がいらしてくださって、お正月明けの初日だというのにランチプレートは完売。いいスタートだった。
この一年が皆さまにとっても良い年になりますように。どうぞ今年もよろしくお願いいたします。
*写真は帰りの飛行機の中から写した雲の上の夕陽。まるで龍のよう。
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Comments
6okZXW i had to comment
Posted by: how to withdraw from strattera | January 14, 2012 06:08 AM