かいじゅうたちのいるところ
絵本作家のモーリス・センダックの訃報記事を新聞で読んだ。83歳だったそうだ。センダックと言えば何と言っても「かいじゅうたちのいるところ」(冨山房)。子供たちが大好きな絵本だった。かつての児童文学や絵本は子供は無垢で純粋で夢を見ている存在だという大前提があった。でも本当にそうなのだろうか?
子供なりに生きることが苦しかったり、親との関係に悩んでいたり、ごく小さい頃から大人の顔色を見ながら、悲しい現実の中で育つ子供もいるだろう。大人が思っている以上に子供は不安や恐怖というものを知っている。センダックはそんな子供の持っている心の闇に光をあてていく。
子供の深層にある感情を決して否定することなく、たとえ小さな胸が悩みや苦しみでいっぱいになったとしても、きっとキミはそれを乗り越えていけるよ・・・そんなメッセージがセンダックの作品の中には込められているような気がする。
一番最初に「かいじゅうたちのいるところ」を手にした時、何だか暗くて気味悪い本だなあと思った。正直なところ、私が好きな絵本ではなかった。でも子供たちに読んだら、ものすごく喜んであっという間に大好きな絵本の一つになってしまった。空想(ファンタジー)の中で、時につらい現実から逃げ出したり暴れたり、ハチャメチャなことをやってみたいという子供の潜在的な欲求が満たされるからなのだろうか。
子供の心の中にいる「かいじゅうたち」が解放されていくようだ。でもセンダックの絵本はそれだけでは終わらない。最後にはちゃんと帰る場所があって、待っていてくれる人がいる。帰る場所があるという安心感の上に成り立つ自由な逃避行。
センダックは子供の心を忘れずにいる大人だったのだろう。自身はポーランドからアメリカに移民した病弱なユダヤ人の子供だったという。ナチスドイツに殺害された親族もいるそうだ。そんな生育過程の中で、ごく幼い時期から闇という存在を知ったセンダック。でも人生には光があるということをずっと信じていたのだと思う。
30年近く前、絵本が大好きだったので家庭文庫を開き、子供たちに読み聞かせをしながら、独学で絵本論の勉強をしていたことがある。膨大な絵本の蔵書を引っ越す度に少しずつ処分し、今、手元に残っているのは大好きだった思い出のある絵本ばかり。やんちゃでいたずら坊主だった子供たちがお気に入りの絵本は、きっとその子供たちに読んであげても喜ぶにちがいない。「かいじゅうたちのいるところ」もその時まで取っておきたい絵本の一つだ。
The comments to this entry are closed.
Comments