生き延びるための思想
上野千鶴子が93年、東京大学文学部教授に就任した時は異例の人事と言われたそうだ。京都大学出身・女性・フェミニスト・・・三重苦?だったとご本人は語っていたけれど、2年後には同大の大学院で教鞭をとり、以来、社会学という枠を超えて、多くの教え子たちにフェミニズムとは何か問い続けている。そして還暦を迎え、東大を退職することになり、その時に行った最終講義がDVDブックになった。
2011年3月15日が最終講義の予定だったが、震災のため、退職後の7月に公開講演という形で行われた。当初のタイトルは「不惑のフェミニズム」。東大構内に「不惑のフェミニズム」と書かれた案内看板が立ち並ぶことは最初で最後、ぜひそのタイトルでと望んでいたが、震災以後、もう一度考え直すことにしたそうだ。そして改めて付けたタイトルが氏の著作でもある「生き延びるための思想」。
フェミニズムとジェンダー研究の第一人者としての上野千鶴子のこの講義を私もぜひ聴きたいと思っていた。もちろん私は女性も男性も生き生きと仕事も家庭も自分のやりたいことをやれる時代が来ることを望んではいるけれど、ジェンダーを研究するにあたり、何を達成したかということよりも、何のためにそれをやって来たかと言うことの方が大事ではないかと上野千鶴子は語る。
震災以降、たとえば普通の人たちがある日突然被災者になってしまった。家も家族も失ってしまった人たちに私たちは一体何ができるのだろう?人は誰でもいずれ弱者になる可能性を持った存在であるということを再認識し、当然、それは女性だけに限った問題ではないと言う。
京大で学生運動に関わり、成人式を校内で迎えた上野千鶴子は当時、女は弱者であると感じていた。だからと言って、「男のように強者にならなければ、この世の中を生きていけないのか?そんなバカな?」。それが原点となって40年。弱者が弱者のままどうやって社会の中で生きていけるかということが一貫したテーマになった。
そんな中で「当事者主権」という言葉も生まれた。「自分が何者であるかを他者から定義づけられることの多かった社会的弱者の、自己定義権の要求につながる概念」また「私のこの権利は誰にも譲ることができないし、誰からも侵されない」とする立場。「私をつかんで離さない問いを引き受けた時、その人は当事者になる」。
言葉で説明してしまうととても堅苦しく、何だか主義主張に凝り固まっているように感じられるかもしれないけれど、人として生きていく上での根本的なことが語られている。そしてそれは単なる女性の権利の主張では決してなくて、むしろ男性も女性も自分らしく生きていくためにどうあるべきかという問題提起なのだと思う。
熱く語り続けた講義の最後に、先輩から預かったバトンを私なりに受け取り、つないできた。今度はそのバトンを受け取ってくれる人に受け渡したい・・・それが最後のメッセージだと言ってマイクを置いたパイオニアの表情は感慨深いものがあった。
終了後、学生たちが計画した退職記念パーティの様子も映像に中にあったが、飾らず言いたいことを言い合って、いい人間関係を築いてきたことが伝わってくるようだった。学生時代、私もこんなゼミを受けてみたかったなぁ・・・。本で読むだけよりもずっと親近感が沸いてとても面白い映像だった。
夕方、草刈りをするつもりでいたのだが、一日中雨が降りやまず、ぽっかりとできた時間にこのDVDを見ることができてよかった。
The comments to this entry are closed.
Comments