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September 27, 2013

実家とのお別れ

一昨日の瞑想のワークショップが終わった後、渋谷の実家に泊まりに行った。いよいよ取り壊されることが決まり、明日から工事が始まるという前日だった。2年前に父が亡くなった後、実家に住んでいる弟や周りの親戚たちと相談して決めた。
7年ほど前、父が倒れ、退院してから2階に上がれなくなった。それで1階のリビングに父のベッドを置くことにしたのだが、とにかくモノが多くて置く場所を確保するのが大変だった。
それを機に少しずつ家を片付け始めたが、それでも家の中にはまだ相当量のモノが残っていた。かなり処分したり、家で使えそうなものは持って来たり、リサイクルショップに持ち込んだりしたけれど、半分以上はそのままになってしまった。
実家で過ごす最後の夜は(もう明け方近かったが)娘時代に使っていた私の部屋で寝た。40年以上前に建てた家だ。リフォームもしないままだったので、もうすっかり傷んでいるが、やはり私にとっては思い出の場所だ。この家から私は嫁ぎ、祖母と母と父は旅立っていった。
都会育ちで交通の便がとてもいい所に住んでいたので、千葉から東京に向かうのはかなり不便で遠いなあと感じる。まして成田の郊外に移ってからはますます東京が遠のいてしまった。
東京は私にとって、もはや住む場所(住みたい場所)ではないけれど、東京にしかない店やギャラリー、美術館、コンサート、講演会などもあるので時々は出かけて行く。そんな時、帰りが遅くなっても最後に駆け込める場所がいつもあったことが私にとっての安心感でもあった。
これからはもう東京には帰る場所がない。いよいよ私の帰る場所は自分自身の場所だけになってしまった。
中島みゆきの「誕生」の中で「ふりかえるひまもなく時は流れて 帰りたい場所がまた一つずつ消えていく すがりたいだれかを失うたびに だれかを守りたい私になるの」という歌詞があるけれど、年を重ねていくというのはそういうことなんだなぁとしみじみ思う。
決してあがなえないことなのだ。
子供の頃のアルバムや若い時に書いた手紙など、私自身のものもかなり置いてあったのだが、どれも持ち出さず思いきってすっぽりと処分した。
本当は最後にキレイに掃除をしてお別れしたかったけれど、モノたちがあふれ返り、物理的にもとてもそういう状況ではなかった。だからよけい区切りがつけづらかったのかもしれない。
いよいよこれで最後となると、何かまだまだ残っているものがあるような気がして、中々立ち去ることができなかった。でももうそこに必要なものはないのだ。残っているものがあるとしたら、それは自分自身の気持ちなのだろう。それだけは何としても持って帰ってこなければ・・・と思う。
玄関を出る時「ありがとうございました」と手を合わせ、ブレーカーを落とし、最後に鍵をかけた。
ガチャっと鈍い音がした。
「誕生」の歌詞はこう続く。
「わかれゆく季節をかぞえながら 
 わかれゆく命をかぞえながら 
 祈りながら嘆きながらとうに愛を知っている 
 忘れない言葉はだれでもひとつ 
 たとえサヨナラでも愛している意味」

Dsc01419


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