自分のためのご飯
今日のお休みは久しぶりにどこにも出かける予定がなかった。生活クラブ生協の本選びの会の本がたまってしまったので、とにかく今日は一日家にいて本を読む日にしようと決めた。本は大好きなのに昔に比べてめっきり本を読むスピードが落ちてしまった。目がついていかないのだ。いよいよ字が見えなくなってきたので老眼鏡も作った。それでも若い頃のように一晩中、本を読みふけるということはできなくなった。ページを開いているうちにいつのまにか居眠り・・・で、読みたい本はたまるばかりだ。
今日は珍しくお昼ご飯を作った。自分のためだけにわざわざ雑穀ご飯を炊いた。最後のゴーヤでチャンプルーを作った。私は人に料理を作って食べていただくことは好きだけど、一人でいると全く作ることに無頓着になってしまう。
でも今日は昼前に佐藤初女さんの本を読んでいたので、改めて自分のために食事を作ってみたくなった。
初女さんは青森の岩木山に宿泊施設「森のイスキア」主宰のシスターだ。訪れた人たちの悩みや生き苦しさに耳を傾け、美味しいご飯と共にいつも温かく迎え入れている。その活動は龍村仁監督のドキュメンタリー映画「地球交響曲第二番」でも紹介された。
初女さんのおむすびを一口食べて、自殺しようと青森までやってきた人が涙を流し思い留まったこともあるという。映画で初女さんのことを知って、講演会に2回ほど行った。とても感銘を受け風楽にも来ていただけたらとお手紙を書き2年近く待った。
店を移転する前の年、ようやく念願かなって初女さんを店にお迎えすることができた。講演だけではなくおむすびも目の前で握っていただいた。初女さんのおむすびはほっこりとしていて温かくとても美味しかった。
当たり前のことを当たり前に丁寧に謙虚にやっていらっしゃる方だった。初女さんは優しく慈愛に満ちていた。そんな初女さんも90歳になられた。今もイスキアの活動の他、著作や講演活動などを行っていらっしゃるそうだ。
「素材そのものを<いのち>としてとらえるか、ただの物としてとらえるかによって味が違ってくるものです。私はいのちとしてとらえ、それを生かすためにどんな調理が合うか考えます」
「ゆがいている野菜が、すきとおったとき。そのいのちが私たちのからだに入るための準備ができたという合図です」
「かいこが蛹(さなぎ)になるときは透明になる。セミやザリガニも脱皮するとき透明になる。生き物はいのちの移しかえのときに透明になるのです。ある陶芸家の方は、いい状態のお窯の中では陶器は透明になっていると言っていました。それは人間にも言えると思うから、透明になれるよう生活したいと思いますね。人間の場合は一度きりではなく、くり返し成長していくんです」
『あなたにとって祈りとはなんですか?」と尋ねられたことがあります。わたしはすぐに「生活です」と答えました。ある時間に限って静かに座ってささげることだけが、祈りなのではなく、私たちが生きて動いていることのすべてが、祈りに通じているのではないでしょうか』
毎日の暮らしを丁寧に紡いでいくこと。その何気ない暮らしの中に祈りがある。人は弱い生き物だから普通の生活の中で自分がぶれることなく、変わらない思いで祈り続けていくことはとても難しい。でもそれを淡々と気負わず当たり前のこととして続けていらっしゃる初女さんの生き方は教えていただくことばかりだ。大切なことは日々の暮らし。感謝の気持ちを忘れず丁寧に暮らしていきたいと心から思う。
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