誕生日に寄せて
2月25日は私の誕生日。54歳になった。一般的に女性に年を聞くのは失礼だと言われているけれど、私はいくつになっても自分の年を隠さずそのまま言っている。それは重ねてきた年月の分だけ自分は成長しているはずだと思うからだ。だから去年の自分よりも今年の自分の方が絶対に人間的には魅力がある・・・と勝手に思っている。いくつになっても今の自分が一番だと思えたら、それは幸せな年の重ね方だと言えるだろう。
今日、娘と三男がお祝いにホテルのランチを用意してくれた。予約してあったテーブル席に行ったら娘が用意してくれた花束が置いてあった。息子はもうすぐ結婚する彼女と二人で可愛い花束と古民家に似合いそうな小さな椅子をプレゼントしてくれた。
それぞれ黄色とピンクをモチーフにした全く雰囲気の違うキレイな花束が二つ。華やかで明るい花がいっぱい咲いて古民家がいっきに春になった。
息子と彼女からは二人がそれぞれ書いた手紙ももらった。結婚するにあたって二人で考えていること、そして今までありがとうと書いてあった。ランチを食べながら読んだので思わず泣いてしまった。その後、手紙を見た娘までもらい泣き。まるで結婚式のフィナーレである花束贈呈のシーンだけが早く来てしまったかのようだった。
子供の幸せを願わない親はいない。とにかく無事に生まれてくれますようにと願い、初めて我が子に対面した時は生まれてきてくれてありがとうと心から思う。そして一喜一憂しながらの子育て。ただ無条件に可愛いだけの赤ちゃんの時期を過ぎ、思春期に入ると互いの自我がぶつかって親と子の葛藤が始まる。
成長するにつれ反抗もするし、いろいろ問題を起こしたり、言うことを聞かなかったりで、本当にもう「アタマに来る〜!」と何度、怒鳴ったことか・・・。どの子ともたくさんケンカした。しばらく口を聞かない時もあった。いつまでこんな時期が続くのか・・・と思っていたけれど、いつのまにかそんな時期も過ぎてしまった。
そして思い出されるのはお団子のように丸まってみんなでくっついて遊んだ幼い日々。ママのことが大好きで無条件に慕ってくれて、いつも手をつないでいた。満足のいく子育ては何一つできなかったし、決して私はいいお母さんではなかったけれど、みんな優しい大人に育ってくれた。
私は父や母にプレゼントをあげたことはあるけれど、花束や感謝の気持ちを記した手紙は渡したことがなかった。ありがとうの言葉を伝えられたのも亡くなるほんの少し前にようやく・・・だった。もっと早くに、もっとたくさん時間が残っているうちに伝えておけばよかったと思うけれど、結局、その時になるまで言えなかった。
私が両親にやってもらったことの何百分の一も、自分の子供たちにはやってあげることができなかったけれど、それでも子供たちは私よりずっと優しい。
そんな子供たちに巡り会えただけでも私の人生は幸せだ。ケンカしながらもやっぱり親子は親子なのだなと思う。たくさんの花たちに囲まれながらまた一年、自分が少しでも成長できるよう、これからもいい時間を過ごしていきたい。そして子供たちともケンカをせず楽しくやっていけたらいいな。
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